旦那さんが心室細動で倒れた話 episode1
前日 12/16(月)
旦那さんは某家電メーカーの経理マンで、12月はもともと次年度の計画作成で繁忙期、さらに、新たなプロジェクトにアサインされて、多忙を極めていた。さらに、通勤時間は片道1時間半。体に鞭を打って働いていた。
私は、そのころ妊娠6か月だった。
この日の夜から自宅の真下で夜間工事が始まっていた。
2階なので、騒音はダイレクトに部屋に届く。また騒音に悩まされる日が始まったなあと思いながら、11時半ごろ、先にベッドに入ったら、旦那さんからラインが来ていたのでスタンプを返した。
夜中1時半ごろ、ふと目が覚めた。まだ部屋が明るいような気がして明りのもとをたどっていくと、お風呂場に電気が付いていた。
また遅かったんだなあ、もしかして風呂場で寝ているのかなあ、なんて思いつつ、私は眠さに負けて、声をかけることもなく再び床に就いた。
当日 12/17(火)
4時半頃、すごい物音がして目が覚めた。
敷き布団で寝ていた旦那さん(妊婦の私がダブルベッドを1人で占領していた)が、上半身を起こした状態で苦しそうにもがいていた。瞳孔は開き切った状態で、漫画でしか見たことが無いようなヒトの表情だった。声を掛けたが気付かない。
私はとっさに過呼吸かと思い(大学生の頃過呼吸になった後輩の面倒を見たことがあった)、急いでスーパーの袋を台所へ取りに行った。袋を旦那さんへ渡そうとするけど、じたばたして全然渡せない。
何度か「大丈夫?」と声を掛けた。そうこうしていると(2,3分くらい?)、ふと旦那さんが我に返った。
ひとまずお茶でも飲ませようと台所へお茶を汲みに行き、旦那さんへ渡した。
旦那さんは一口、二口、お茶を飲んでため息をついた。もう要らないといったそぶりだったので、私はお茶を台所へ返した。
しばらく何か話をして、今日はダブルベッドで一緒に寝るように促した。旦那さんはまだしんどそうだった。
「救急車呼ぶ?」と私が聞くと、「いや、いい」と答えた。私もそこまで深刻に考えていなかったので、「そっか」と引き下がった。
何が原因なのだろうかと、スマホで「就寝中 過呼吸」といったようなキーワードで検索した(「発作」という単語が思いつかなかった)。「睡眠時無呼吸症候群」、「夜驚症」といった文字が目に入ってきた。旦那さんに「これかなぁ」なんて話しかけたりしたけど、心ここにあらずで反応が薄かった。
心臓の病気だとはつゆも思わず、そのまま再び眠りについた。
5時頃(時計を見ていないのでおおよそ)、再びすごい音で目が覚めた。
隣で寝ていた旦那さんが上半身を起こしてじたばたしていた。
また瞳孔が開いていて、別人のようだった。
何度か名前を呼んだけれど反応が無く、口は閉じきってガタガタしている。
顎を無理やり開けたら、何度か肩を上下したあと、我に返ってきた。
今度の発作は1回目より短かった気がする。
私は眠気眼で「明日は仕事休みなよ」と言うと、「会議があるから」と言った。少し呆れたけど、「まあ、旦那さんならそう答えるか」とも思った。
また、「横になって寝なよ」と言うと、「横になるのがシンドイ、座っていた方が楽」と言って、ベッドレストに持たれかかる姿勢になっていた。
後から思い返せば思い返すほど、このとき、救急車を呼んであげればよかったと思う。特に旦那さんの意識が戻るまでは、何度も何度も後悔した。
しばらくして、もうひと眠り、という気持ちになったのか、旦那さんが横になった。
おなかの赤ちゃん(このときまだ性別は分からなかった)が動いたので、旦那さんの手を私のおなかに当てた。旦那さんは、嬉しそうに「動いてる」と言った。
そのあと、再々度眠りについた。
5時半頃、また同じような音がした。
私が慌てて起き上がろうとしたら、旦那さんが布団を全て剥ぎ取ってもがいた、と思ったら全く動かなくなった。
ベッドから降りて旦那さんを動かそうとしたけど、やっぱり動かない。また瞳孔は開いていた。自分の動悸が速くなっていくのを感じた。
「やばい」と思い、急いで旦那さんの胸に手を当てたら動いていない。腕(脈)を確かめがてら、すぐに119番を掛けようとしたけど、焦ってなかなか発信画面にならない。
これまでの時間が1,2分くらいだっただろうかと思う。
119番を押したら、すぐに、「○○消防署です」と応答が出た。「救急ですか、消防ですか」、「救急です」と頭が真っ白になりながら答えた。
「住所を教えてください」と聞かれ、住所を伝えた。「○○(マンションの旧名)という建物ですか?」と聞かれ、そうです、と答えた。
そのあと、ようやく「心拍、呼吸はありますか?」と聞かれた。
「ありません」と答えると、「ないんですか!?」と驚いたように逆質問をされた。私は「急いでください」と言った。
消防署の人の反応にいささか不安になった。この人大丈夫かな・・・(声の感じも新人っぽい若者だった)。
続いて、「心臓マッサージの方法分かりますか?」と聞かれ、「分かりません、教えてください」と言うと、「まず乳首と乳首を結んだ線上の・・・」と説明を受けた。
すぐに胸骨圧迫を開始した(スピーカーフォンにした)。
人工呼吸については、分からないならやらなくてよい、と言われた。
また、消防署の人から、「玄関のカギを開けておいてください」と指示された。私が「胸骨圧迫と玄関どっちを優先したらいいんですか?」と聞き返すと、消防署の人もなかなかテンパっているようで、全然返事が返ってこない。しばらくして、ようやく「カギを開けておいてください」と返答が返ってきた。
イライラと不安で頭がいっぱいだった。まだ電話がつながっている事も気にせず、大きな声で旦那さんの名前を何回も呼んだ。「置いていかないで」とか、そんなことも言った気がする。
そうしていると、電話が切れた。
胸骨圧迫しながら、ふと、自分が肌着同然の恰好であることを思い出し、消防署の人が来てしまうけどどうしよう、と思った。同時にこんな事態にもかかわらずそんなことを考えている自分にびっくりした。
5分くらいたっただろうか、救急車のサイレンの音が聞こえ始めやがて大きくなり、自宅の前で止まった。ほどなくしてインターホンが鳴った。
一時、胸骨圧迫を中断し、玄関のモニターでマンション入り口の鍵を開けに行った。ついでに、家の鍵も開け、そして、ズボンをはき、上着を着た。またすぐに、胸骨圧迫を再開した。
消防隊員の方たちがどたどたと家に入ってきた。旦那さんをベッドから担ぎ下ろす人、AEDを準備する人、通り道を作る人、私に経緯を聞く人、ただおろおろ見学している人10人弱くらいだったと思う。隊員さんは旦那さんをベッドから降ろし、AEDをつなぎ、何やら緊迫した感じで話をし、メモを取っていた。
私はなすすべもなく壁際に立っていると、やがて隊員の人から状況についてヒアリングがあった。いつ気づいたかとか(よくわからないまま10分くらい前ということになった)、色々である。正直詳しいことは覚えていないが、明確に覚えているのは、なぜか旦那さんのことを、彼氏さんとして、質問をしてきていたことである(一応訂正した)。
やがて、旦那さんが担架で救急車に運ばれる段になると、私も準備をするよう促された。そして「ご主人の保険証をお持ちください」と言われた。
それで、旦那さんの財布(保険証を入れていると思われる)を必死に探したのだけど、一向に見つからない。
しまいには、部屋にうちに来てから旦那さんが下に運ばれた後も、ずっとぼーっと立っている人と2人になっていた。私は「手伝ってください」とキレ気味にいったら、探すそぶりをしてくれた(八つ当たりである)。
結局保険証は見つからないまま、救急車に乗ることになった。家の戸締りをして、マンション前に止められた救急車の助手席に乗り込んだ(妊娠していたので車高の高い救急車に乗るのは一苦労だった)。乗り込むと、後方で旦那さんに人工呼吸器の取り付けが進められていた。
シートベルトを締めていると、隊員の人から、搬送先の病院名を告げられた。近くの大学病院だった。私の職場近くの病院で、かつ大病院だったので少しほっとした。
運転手(これまた新人っぽい、電話と同一人物か?)の先輩と思しき隊員が、救急車後方から運転席の窓際までやってきて、「がんばれよ」的な言葉をかけた。運転手の若者は不安そうにウンウン頷いていた。そして、救急車はサイレンを鳴らしながら出発した。
救急車は当然のように赤信号を無視して、早朝の車通りの少ない道を走って行った。
救急車が走り出してしばらくして、私の知らない道に入った。家を出て5分弱くらいだろうか。
そうすると、後方から「脈が戻りました!」という声が聞こえた。
私はなぜか根拠もなく、脈は戻るだろうと思っていたので、特にびっくりするでもなく、「そうか」と思った。でも呼吸は戻っていない、「いや、戻らないよな、そう簡単に」、と思った。
その後1,2分して、大学病院に到着した。
この話をすると、よく冷静に対処できたね、と言われるのだけど、もしかしたら、それまでにも救急車を呼んだことがあったからかもしれない。
私がこのとき救急車に乗るのは人生で4度目だった。
1度目は自分が小学生のとき車にはねられて、2度目は大学生のとき後輩が飲み過ぎで過呼吸になって、3度目は2017年の大晦日に実父が倒れて(石油ストーブの前でタバコを吸って一酸化炭素中毒になった)、である。