早期再分極症候群

#02_発作当日2/3(病院到着→最初の面会)

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旦那さんが心室細動で倒れた話 episode2

当日 12/17(火) 緊急搬送後

救命センターの入り口は、通常の入院外来窓口の隣にあり、救急車が停車したらすぐに、自動ドアをあけて運び込めるようになっていた。
まさしく医療ドラマのそれだった(といいつつ私は全く医療ドラマをみない←)。
救急隊員の方々が病院のスタッフと連携しながら、粛々と旦那さんを病院へ運び込むのを、私は救急車の助手席から見ていた。
運び終えたくらいで、救急車から降り、再度、消防署からのヒアリングがあった。その後、すぐに、消防車は帰って行った。

入れ替わりで救命センターの方がやってきて、「今はセンター内には入れないから、待合で待つように」と言われた。
救命センターの待合室は、救命センターの扉(インターホンで中から開けてもらわないと入れない)の完全に外にあり、また、通常の病棟ともつながっておらず、完全にそれ専用の部屋だった。

早朝6時台の待合室は私一人だけで、閑散としていた。手指消毒とマスク着用(コロナ禍の前だったので箱が置いてあった)のお願いが掲示されており、それに従った。
途方に暮れながら、各所に連絡しようとスマホを取り出すと、お腹の赤ちゃんがどんどんどん、と強くお腹を蹴った。「しっかりして、私が付いてるよ」と言われた気がして、少し元気が出た。

電話をかける前にセンターの看護師さん(私と同い年くらいの女性)がやって来て、「お身体大丈夫ですか?妊娠何か月ですか?無理なさらないでくださいね」と言って私のことを労わってくれた。安定期とは言え、おなかの赤ちゃんのことも心配だった私は、この一言にかなり救われた。
また、旦那さんの状況(機械につなぐなどしており、面会できるのは9時以降になる)、入院の手続きや準備するもの、面会時間(一般病棟と違い13:00-14:00と18:00-19:00に限られていた)などについて説明を受けた。
それから、状況がどうなるか分からないので、お父さんやお母さん(私からすると義理の両親)も来られた方がいいです、お腹の赤ちゃんの事もあるのであなたの親御さんも来られるなら来てもらったらよいと思います、と言われた。

看護師さんがセンター内へ帰った後、義母と実母に連絡を取った。
旦那さんの実家は九州、私の実家は四国であり、どちらも病院へ来るには時間がかかる。でもさすがの人生の先輩達は慌てるそぶりは見せなかった。私が妊婦だったので余計気を遣ってくれたのだろう。
私の母は今日は仕事を休む、すぐに電車でそちらへ向かう、昼前には着くと言った。
姑も出来る限り早くこちらへ向かうといった。最短でも昼過ぎとのことだった。

あと連絡するのは、旦那さんの職場と自分の職場である。
旦那さんの職場は連絡先が分からないので、スマホで会社の代表番号を調べた。そうすると、受付時間が9時以降(確か)だったので、一旦連絡をあきらめた。
自分の職場へは早朝だったのでラインで上司と同僚へ簡単に連絡した。

一息つこうと待合室を出て、自販機でポカリを買い、戻って、スマホをテレビ脇のコンセントに差した(カバンに入れてた私グッジョブ)。
このときはじめて涙が出てきた。

入院の申込書等を書いていると、青い服の若い女性がやって来て、旦那さんの担当医だと名乗った(救命センターの医師はみんな動きやすそうな服を着ていた)。
不整脈で倒れたのだろうということ、いま脈はあるけど体に負担がかかるので人工呼吸器を取り付けていること、それに伴い全身に麻酔をかけていること、それから、低体温療法というのを今試みていて、それがある程度軌道に乗るまでは待合室で待つことになるということ、そして低体温療法は少なくとも5日続けるので、それ以降にならないと意識が戻るかどうかは分からない、といった説明を受けた。
また、改めて、自宅での3回のエピソードについて聞かれ、私も覚えている範囲で細かく説明をした。
そして、若いから15分近く脈が止まっていたのに、蘇生したのだろう、安心は出来ないけどね、と言った。
なんとなく、良い先生にあたったなあと思った。
また、家族に既往歴がないか確認するように言われた。

ちなみに低体温療法とは、人間の臓器で一番デリケートな脳(心肺停止すると酸素がいかなくなってダメージを受ける)を保護するために、心肺停止から蘇生した患者さんに対して行われるものだそう。その名の通り、体温を低体温(32℃から34℃)に下げる。

両実家やら入院手続きやらに追われているうちに、あっという間に9時になり、旦那さんの職場へ電話をする時間になった。
コールしている途中で、もう一度看護師さんがやって来てそろそろ面会できそうです、と言われた。
急いで、旦那さんの職場へ連絡を取った。工場の受付から旦那さんの上司へつないでもらい、経緯を説明した。ショックを受けているようだったけど(頭に「労災」という言葉がよぎった)、私が妊娠している事をご存知で、体を労わるよう言っていただいた。また、直接連絡を取れるように連絡先を交換した。

9時過ぎに、慌てた様で私の母がやってきた。
そして、その直後、面会いただけますよと、センターの人がやってきた。

救命センターの治療室は体育館みたいにだだっ広い部屋で、両サイドにベッドが並べられていた。部屋の真ん中には医師たちが集まるデスクなどがあった。
中には(見たことはないけど)ドラマのコードブルーみたいなつなぎの制服を着た人もいた(ドクターヘリがある病院だった)。

旦那さんはその救命センターの一番入口近くにいた。後で知ったが、救命センターは入口に近いほど命が危ない人らしい。
数えられない程のチューブにつながれて、充血した眼を開けていた(自力では閉じられない)。頭上には心拍数をはじめとしたいくつもの数字がモニターに映っていた。
そして、体が何度も痙攣していた。
泣いてもどうしようもないとは思いながらも、また涙が出てきた。名前を呼んだりしたけど、当然返事は来ない。
椅子をすすめてくれたので、座った。また、痙攣を押さえるためにはめていたミトンを外し、手を握るよう促してくれた。

低体温療法の影響で、寒気で痙攣しています(シバリングとか、略して、シバる、って言うらしい)、若くて生命力があるからこそこれほど痙攣するのでしょう、と言われた。
旦那さんの場合、鼠蹊部の血管に、機械で直接冷たい生理食塩水を流し込まれており、その機械で直接現在の体温がコントロールできるようになっていた。どうやら最新の機械らしく、扱う看護師さん達も試行錯誤と言った感じだった。
また、34℃が目標だけどまだ安定していない、34℃が安定してから24時間間経った後、そこから5日間かけて1日当たり0.5℃ずつ復温していく、その後に麻酔を切らしていって、意識が戻るかどうか見ます、といった説明を受けた。
そして、機械をつなぐときにわずかですが手足が動くような反応がありました、という嬉しいエピソードを付け加えてくれた。
本人の生命力を信じて待つしかないと思った。

救命センターの本来の面会時間は、13時からと18時からの1時間ずつだけなので、また昼過ぎに来てください。あと、旦那さんのご両親が到着されたら医師から改めて説明をするので、教えてください、と言われ、いったんセンターから出た。

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