早期再分極症候群

#03_発作当日3/3

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旦那さんが心室細動で倒れた話 episode3

当日 12/17(火) 10:00

私と母はいったん救命センターを出て、朝食兼昼食を病院の食堂で取ることにした。正直食欲はなかったが、定食を注文し、食べられるだけ食べた。
そして、スタバでデカフェを買い、昼の面会時間までまた待合室で待つことにした。
義母はまだ家を出られていないとのことだった。

当日 12/17(火) 13:00

13時からの面会は朝の面会のときより少し「低体温」が安定しているようだった。それでもまだ体の震えは続いていて、機械のアラート(体温が一定以上になると音が鳴って知らせる)が何度も鳴って、そのたびに救命センターのスタッフがああでもない、こうでもないと調整をしていた。
また、私がよほどせっぱつまっているようにみえたのだろう、朝も声を掛けてくれた看護師が「つらかったら、ご家族の方がカウンセリング受けていただくことも出来ますので」と微笑んでくれた。癒されつつ、看護師ってすごい職業だなあと思った。
あっという間に1時間の面会時間は終わった。

当日 12/17(火) 15:00

所用を済ませるため、寝間着同然の恰好でバスに乗り、自宅へ帰宅した。
母は寝られなくても少し横になった方がよい、と私に言い、半ば強制的に寝かされた。確かに横になると少し疲れがとれた気がした。
私が休んでいる間、入院に必要なもの(オムツやシャンプーなど)を購入するため、母がドラッグストアまで買い出しに行ってくれた。
30分程休んだあと、やっぱり寝れないので、ひとまず旦那さんの財布やケータイを探し、高額医療の手続きやら、健康診断時の心電図の手配やらをした。
義母からようやく家を出発する旨の連絡があった。
そうこうしているうちに、夜の面会のために家を出る時間となった。

当日 12/17(火) 17:30

私の拙い運転で病院まで車で向かった。病院の駐車場はとても狭く、駐車するのも車から降りるのも一苦労だった。
早めに着いたので、また義母や旦那さんの職場とのやり取りをした。正直疲れるなあと思う反面、バタバタしている方が気が紛れていいや、とも思った。
当初、夜の面会の際に、義両親と一緒に医師から説明の機会を設ける段取りになっていたが、義両親の到着は20時半ごろになるとのことだった。

夜の面会の際には一応「低体温」が安定しているようだった。15:00から低体温療法の日数カウントをするらしい。
ほっとしつつも5日先が遠い遠い未来に思えた。
旦那さんの手を握りながら(非常に重い)、頭上の画面に映し出される数字を眺めていると、看護師がいくつかの数字の見方を教えてくれた。19時が来て、通常の面会時間が終わったが、義両親が到着がまだのため一度センターを出て、全員揃い次第、またセンターを訪ねるよう指示された。

私と母は夕食を取るために再び病院の食堂へ向かった。私たちは食堂の最後の客だった。食堂のおばちゃんはうっとうしそうにしたが、母は静かな食堂でひたすら普段通り(を装って)しゃべっていた。私も努めて普段通り相槌を打った。
夕食後、再び待合室に戻った。待合室も私たちだけだった。

当日 12/17(火) 20:30

義両親は20時半ごろ到着した。
義両親に直接合うのは結婚式以来1年半ぶりだった。義母(肝っ玉かあちゃんと言った感じ)は私のお腹をみて「ちょっと大きくなってきとるね、でもまだまだこれからやね」と笑顔で話しかけてくれた。それでもポロリと「葬式も覚悟で来た」と言い、胸が締め付けられた。
義父は亭主関白とは真逆のタイプの人で、マシンガントークの義母へたんたんとツッコみを入れていた。

救命センターへ通してもらい、まず最初に旦那さんと面会をし、そのあと、医師からの説明を受けるために別の部屋(空の個室)に通された。担当の女医さんは非番になったようで、代わりに気さくそうな男性の医師が説明をしてくれた。
だいたい以下のような内容だったと思う。
・倒れた原因:心室細動で倒れたが、心室細動になった理由は不明
・現時点の検査結果:レントゲンやCT、心電図に異常がないこと
・低体温療法のこと
・循環器内科の医師による診断はこれからになること
・遺伝性の病気の可能性があること(例えばブルガダ症候群)
・(意識が戻った場合)社会復帰できるかどうかの目安として精神科の医師により試験を行うこと
・退院するためには必ずICD(植え込み型除細動器)植込みの手術が必要になること(年末なので最短でも年明けになる可能性が高い)
・意識が戻った場合、ある程度してから一般病棟に移ることになること

私が「ブルガダ」という濁点だらけの聞きなれない言葉を覚えようと頭の中で反芻していると、義父が「親戚に既往歴はないと思っていたのだが、よく思い出してみると、祖父の兄がぽっくりで30過ぎに亡くなったと聞いたことがある」と言った。医師は興味深そうにメモを取り、循環器内科の医師に伝えると言った。私は何親等か頭の中で計算した(4親等だ)。

医師は何か質問があれば、と笑顔でこちらを見た(この職場の人たちはほんとうにバイタリティの塊だなあと尊敬する)。
私は、聞いても仕方がないことだと分かりつつ、どれくらいの確率で意識が戻るのか、また意識が戻ったとして社会復帰できるのか、と質問した。
医師は「○○の研究では○○です。」と、エビデンスを示しながら、落胆させるでもなく、希望を持たせるでもなく、色んな意味で上手に説明をしてくれた。確か意識が戻る確率は13%くらいと言われたように覚えているが定かでない。
再び「若いので・・・」とも言われた。

詳しい事は忘れてしまったが、義母や義父もいくつか一所懸命質問をしていた。一つ鮮明に覚えているのは、義父が「CPAP(シーパップ)って効果ありますか?」と質問したことだ。義父は睡眠時無呼吸症候群で、その日もCPAPを持参していたらしい。医師はまじめに、でも優しく「心室細動と睡眠時無呼吸症候群の関係性について確証されたデータはない」といった回答をしていた。
「お義父さんらしい質問だな」と思った。

質問タイムも終わり、もう一度旦那さんの顔を見てから、私たちは救命センターをあとにした。

事前に義両親へうちへ泊るよう勧めてみたが、別にホテルを取ったとのことだったので、ホテルへ2人を送り、実母と私は帰宅した。
帰宅したら22時を回っていたと思う。
風呂に入ったらすぐ眠くなったので、母に片づけを頼んで先に就寝した。

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